柳田國男

日本の伝説 (新潮文庫 や 15-2)
息子のための絵本選びの参考にしようと思い、再読。土地にまつわる物語を直に話して聞かせてくれる人がいれば、とつくづく思う。イエのしがらみから開放された現代は、資本主義的な自由と引き換えに沢山のものを失った。それはもう取り戻せないけれど、今改めて神話や伝説の持つ力を見直してみても良いのでは、と思う。流転の激しい人と人との関係に〈絆〉なんて軽薄なキャッチコピーを貼り付けるよりも、人と土地、ひいてはその来歴にまつわる豊かな物語を結びつけることが出来れば、それを仲立ちに自然な集まりが生まれるのでは。
本文はつい箇条書きで整理したくなるけれど、柳田翁のこの語り聞かせる口調のおかげで、近代まで生き残ってきた伝説の持つ力が紙面に留められているのだろう。伝説を地に根を生やす植物、昔話を飛び歩く動物に喩えることの妙に唸る。各章を通して、ゆるやかに〈咳のおばさま〉へと収束してゆく面白さ。そのはるかな大元には、イザナミやウカノミタマを生み出した大地母神の面影がある。

日本の昔話 (新潮文庫)
しゃれこうべを相手に酒を呑む爺様と、自身の葬儀に招待してもてなす幽霊の、軽妙洒脱なお話があったはずだと探してみる。あったあった、「春の野路から」これだわ。読み返してみても、やっぱり昔話というよりも気の利いた短編小説みたいだと思う。「徒然草」等の背景にある疫病や飢饉がもたらす死の陰とはまた違い、当話には道端に転がる人骨への奇妙な親しみがある。病院や施設ではなく日常の場で、生活の中に生と死が同居していた自然な時代の感覚なのかもしれない。楽しくなって全話読み返し、これはこのまま読み聞かせに使えるとほくそ笑む。

日本の昔話と伝説: 民間伝承の民俗学
新編集版かと思って手にしたら、全集未収録分ばかり集めたお得な1冊でした。冒頭から読み進めながら違和感は覚えたものの、本書が項目五十音順の手引書となっていることに気付いたのは〈な行〉に入ってから。刊行意図を記す前書きもなく、固有名詞ですらルビは最小限、注釈は無し。柳田初心者には不親切だろうな。ただし内容は柳田民俗学の濃いエッセンスが滴る面白さ。背景には膨大な知識の集積があるのだろうけれど、このお方の縦横無尽な発想には一種の霊感すら感じる。嬉しかったのは「炭焼き長者」と「伝説」。そのうち必ず再読します。

禁忌習俗事典: タブーの民俗学手帳
全集未収録シリーズ。「忌み」を行為・日時・方角や害などにまとめる。事典となっているが通読しやすい。穢れから身を守るため、または清なるものを前に自粛するために存在した「忌み」。非合理的で差別の温床ともなるため、または公表すべきでないという元々の性質もあってか、近代化と共に忘れ去られてしまったもの。けれどそこには単に先人達の知恵というには収まらず、大陸渡りの学問よりもなお古い、この土地に根を張ってきた祖先たちの清と穢の魂がある。だからこの理屈抜きの説得力、恐ろしく面白い。気になったのは山言葉、沖言葉、夜言葉。

葬送習俗事典: 葬儀の民俗学手帳
事典とはいえ項目別の体裁、前書きも附されて読み通しやすい。ここで言う葬送とは土葬、村の中で講の手を借りて行う。清と忌の火を峻別する心には、死を穢れとして避ける以上に、何かと手をかけて関わりを続けようという死者への親しみを感じる。来歴を忘れられた習俗も、その始めは身近な誰かへの追慕なのだろう。訃報の使者には二人であたる(一人で行くと死者がついてくる)、年内に不幸が二件あると次を恐れて人形の仮葬儀をする等既知のものもあるが、火葬の際に一緒に焼いた芋を食べる(すると風邪をひかない)等には驚いた。
古代史の本で読んだ、コアジサシを抱いた少年の遺骨。哲学の本で読んだ、仲間を弔った痕跡のあるクロマニヨン人の遺跡。葬送の習俗がここまで煩雑になり、来歴を忘れられ形骸化しながらも消えずに残ってきたことの意味を思う。死は生の終わりではなく、誕生すると生とともに始まるのが死。人は死したあと死後を生き、人に忘れ去られたとき初めて本当の死が訪れる。

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