日本の古典をよむ


小学館「日本の古典をよむ」シリーズ。
現代語訳のあとに原文、という構成が読みやすく、古典初心者にお薦めです。

竹取物語・伊勢物語・堤中納言物語 (日本の古典をよむ6)
原文を読むペースが少し上がってきたら、今度は語句や文法をおさらいしたくなってきた。【竹取】学生時代に冒頭のみ暗唱した本作、原文で最後まで読めたのは現代語訳を先に持ってくる構成のおかげ。小さな達成感!古文の婉曲表現で読むと、姫の試練もおおらかで滑稽。【伊勢】業平の歌はわかりやすいし、各段が短く濃いので原文もすらすら読めてご満悦。色恋よりも惟喬親王との場面が好き。【堤中納言】有名どころ三篇しか収録していないのが少し残念。出家のための必要物資を軽快に無心する手紙を原文で読んでみたかった。ほぼ単語の羅列だけども。

土佐日記・蜻蛉日記・とはずがたり (日本の古典をよむ7)
「土佐日記」都から宝のように抱いてきた子が、帰るときには共にいない。幼い愛娘に世を去られ、さらに今また思い出の土地からも去らなければならない。触れれば手を切る生々しさではなく、指の隙間から零れ落ちてゆく面影を必死に掻き集め、そこに顔をうずめるような儚さを感じる。「蜻蛉日記」は田辺聖子「文車日記」等で詳しく紹介されていたせいか、初読なのに再読気分。思うに任せない身の上を嘆いてばかりの道綱母、けれど辟易どころか共感ばかりしてしまう。兼家とも不仲というよりは腐れ縁のようで、長年連れ添うには悪くないのでは。
ついで読みのはずの「とはずがたり」が大層面白くて得した気分。といってもこれはやや昼ドラ風のたのしさで、人によっては不快に感じるのかもしれない。私はいつのまにか二条と後深草院に紫の上(ただしかなり多情)と源氏の君を重ねて読んでいたけれど、このふたりが出家したあとの後日談があればこそ魅力的な作品になっているのだと思う。とくに後深草院の葬送のくだりは大層画が映えてそそられる。

大鏡・栄花物語 (日本の古典をよむ 11)
古文音痴の私には、現代語訳のあとに原文という構成がたいそう読みやすくて助かった。読めなくても読みたい、読めるようになりたい、それは古文の音が声にしたいくらい美しいから。漢文のシャキシャキした音感もいいけど、女文字のたおやかさは格別です。収録二作はどちらも藤原道長が主役だけども、目を引いたのはやはり運に見放された脇役の人々。とくに皇后宮にまでなりながら最期は失意のなか亡くなった定子の無念には胸をつかれる。道長万歳物語だけど強運すぎる彼には魅力を感じなかった。源氏物語の光の君よりも実在感がなかった気がします。

方丈記・徒然草・歎異抄 (日本の古典をよむ14)
歎異抄は割愛、方丈記は10月に譲って今回は徒然草のみ。古典イベでは不評の声が目立ったけれど、私には大変面白かった。原文も読みやすく、江戸後期かと勘違いしそうになったほど。本書は全文掲載ではないけれど、全体に感じられたのは兼好さんの「明日くたばるかもしれない、だから今すぐふり絞れ」というメッセージ。死が現代よりずっと身近な時代だから切実です。有名な女人蔑視発言の数々には、生涯妻帯しなかった兼好さんの、歴史に残らなかった私生活をつい品悪く勘繰ってしまう。苦労させられたんだろうなぁ。
歎異抄は割愛、徒然草は既読、今回は方丈記のみ。古典イベお題本ながら今月は見送るつもりでいたところ、短く読みやすいとの評判を聞き慌てて手に取る。噂通り、原文は現代語訳に頼らずとも大体のところ理解できるし、全体の文章量も少ない。けれど内容は、というよりも語られる鴨長明の見てきた浮世の有様は、これはたいそう重かった。旱魃火災水害地震、そして飢饉と疫病。死んだ母親の乳房にとりつく赤子、死者の冥福を祈り額に阿の字を書き付けて歩く僧侶。神官の家に生まれ、家督を逃して仏門に入った鴨長明が見てきたもの。彼岸が対岸のよう。

おくのほそ道 芭蕉・蕪村・一茶名句集 (日本の古典をよむ20)
芭蕉と蕪村は初のまとめ読み。【芭蕉】おくのほそ道/軽みが心地よい句にくらべて、地の文のなんと濃く堅いこと。ストイック&クレバーな新しい芭蕉像が閃く。やはり平泉「夏草や兵共が夢の跡」、最上川「さみだれをあつめて早し最上川」が好き。他、辞世に近い「旅に病んで夢は枯野を駆け廻る」も狂おしく切ない。【蕪村】遅き日のつもりて遠きむかしかな/硝子の魚おどろきぬ今朝の秋/鳥羽殿へ五六騎いそぐ野分哉【一茶】前から好きだった一茶の句、けれど今は子どもの不幸を読むのが辛かった。興味の尽きない人なので、そのうちまた改めて。

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